不登校にならないと気づけなかったこと

 

悲観的なので普段はこんなふうに言いませんが、結構勉強ができて、中学ではテストで多分7回くらい学年一位をとり市内イチの公立進学校に進学するも、一ヶ月で不登校になった私の不登校エピソード自分語りです。

 

 

 

私の中学時代から高校入学、不登校になるまで

私の思う私の取り柄は、正直勉強ができることくらいしかなかった。小学校入学前から勉強に興味があって年長でチャレンジ一年生をやったし、小学校でもチャレンジをやって、やめてからも市販のテキストを一日8ページとか進めて、長期休みには高い塾の講習にいって、その繋がりで中学三年間はその塾に週二で通った。今こうやって文字に起こしてみてびっくりしたが、ここまで勉強に時間を割いていたのに私は、自分は何も努力していないと当時は本気で思っていた。そこはどうでもいいので省きますが。

 

努力してないと思っていたとはいえ学年一位は事実なので、一応私の長所だった。

 

特になんの夢も目標もなかったがなんの迷いもなく志望校は偏差値65の進学校で、普通に合格した。

 

 

入学してすぐのゴールデンウィーク直前の日、学校を休んだ。私はこの日から、一度も学校に行っていない。こういうとき、他の退職エピとかを見るとある日突然行けなくなったとよく書かれているが、私は全然予兆があった。あまり覚えていないが少なくともその直前の3日くらい毎朝泣きながら登校していたし、なんなら授業中も泣いてたし、一回仮病(ある意味仮病じゃないけど)で早退した。

 

まじでショックとかいうレベルの話じゃない。いろんなことがあったが、私は特に勉強だけを取り柄にこれまでやってきたのもあって、あ、終わったんだな私の人生、これまでの努力全部無駄になるんだ、って思った。あとから話すが、私は学力に関係ない進路を本当に考えたこともなかったので余計に絶望したと思う。勉強を捨てた自分に何が残るのかわからなくて本当にこれからについて考えるのが怖かった。これが挫折っていうんだっていうようなきれいな挫折。清々しいですね。本当に想像してみてほしいまじでしんどかった。

 

話を戻してなぜ泣きながら学校行くようなことになっていたかというと、しょうもないことだが三回くらいミスをしたのが悪かったのかと思う。生物の教科書類一式忘れたとか。これに関しては運が悪かったとしか言えない。

ただもちろんこれだけで不登校になったわけではない、と思う。ただきっかけは完全にこれで、これがなかったらあと一ヶ月くらい長く行っていたかもしれない。

 

なんだよじゃあなんで学校に行けなくなったのという話だが、私的に思うのは、純粋に学校というものが向いていなかったのだと思う。一つ例を挙げると、期限のある課題がとっっても苦手なことだ。後回しにするくせがあること、期限が迫っていることに焦りというより恐怖的な感情を抱くこと、ずっとやんなきゃと思っているせいで常に罪悪感を感じながらもなぜかスマホを見てしまうこと、ずっとやんなきゃと思っているせいで友達の誘いとかは断っちゃうこと、直前にやり始めるくせに完璧主義的な部分が作用して、でもそんな時間はないこと、だいぶネガティブで真面目だからいちいち反省して、こんなんな割に怒られたくはないし、優等生とは真逆なこの事実、全てが地味なストレスとなって積もりに積もっていた気がする。全部読んでくれた人ありがとう。

 

学校と必ずセットな課題という存在が私に確実にダメージを与えていた。ポイズン系の攻撃。私からしてみれば生きてるだけで毒をもらった状態だった。そんで気づいていなかった。

 

多分そんなしょうもない理由かよwって思った人もいるだろう。もちろん他にもあるけれど今ここに書くと長くなりすぎるので一旦省かせてもらうが、このポイズンだけを理由としてもわりと間違ってないのではという感じである。それに、一番のポイントはネガティブで真面目なところで、こんだけ課題が苦手でもあははって感じで生きていける人もいるだろうにそれができないところだ。これは課題単体の問題ではない。

ちなみに今も通信高校の課題があと二時間で締め切りなのにあと三個あって物理的に不可能なので現実逃避でこの文章を書いている。なにかに集中していないと無理。これでいて時間ギリギリまで頑張ろうとならないのが不思議ではあるが。ここまで悩んでいても何も変わらないのだからこれからも厳しそう。

 

 

 

不登校になって得たもの

そんな感じで爆速で不登校になった私だが、不登校になってよかったと思っている。もちろんしんどいことはたくさんあったし本気でしのうかと思ったこともあるが、これから生きていくのに大事なことをたくさん得たのでプラマイプラである。

 

一言でいうと、私には見えていないものが多すぎた。それが見えるようになった。

私には、自分が進学校から旧帝大に進学して、大手企業に就職する未来しか見えていなかった。見えていなかったというか、言語化が難しいのだが、視認はしていたけど脳みそで理解していなかった、みたいな。

もちろんいろんな進路があるのも色んな人がいるのもわかっていたが、そういう人の視点に目線を合わせて見たことがなかったように思う。これは不登校になってがちでこれからの人生どうしようと思い、他の人はどうやって生きてるのか考えるようになってやっと気がついた。そして、案外勉強しなくても生きていけるんだ、世の中。ということにも気がついて、周りに教えるくらいだった。それくらいの狭い思考の中にいた。

 

高校生ながらにツイ廃に片足突っ込んでいたので色んな人の体験談みたいなのはよく見ていたと思うし、その人の立場に立ったつもりで見ることもできるタイプだった。だが、自分の中でそういうのは完全に自分とは別の世界だと認識していたのだと思う。アニメを見て感情移入しているのと同じ。普通に生きてたのにこんな災難にあった、みたいなのは、普通に生きていたというベースがあって想像しやすい。私ができていなかったのは、将来の夢はラーメン屋をやること、みたいなことだ。

 

これに気づいたとき本当に困惑した。え、なんで、ラーメン、え、なんで?みたいな感じになった。決してラーメン屋をバカにしているわけではないことはわかって欲しい。ラーメン大好き。私に将来の夢がなかったのもあると思うが、わざわざ勉強に時間を使っていた自分からしたら、学力に関係ない進路にいくことがあまりにも想定外過ぎたのだろうと思う。家業を継ぐとかはわかる。そういうのじゃなく、偏差値40の私立高校を出たあとにネイリストになる。みたいなのが本当に想像できていなかった。これは純粋に思想が過激だったと思うが、偏差値50の学校にいった友達には将来どうするの?と思っていた。人のせいにして申し訳ないが周りの大人の影響もでかいと思う。塾もレベルが高かったのでそういう競技性もあって余計そういう考えが自分の中にあったのだと思う。

 

ラーメン屋の店主の思考に自力でたどり着けたのはとてもでかい。というか、自力じゃないと気づけないだろう。ラーメン屋の店主の話を聞いたところで感情移入するだけだからだ。

そして、不登校にならなければきっと気が付かないまま少なくとも高校は卒業していたと思う。私ならきっと旧帝大に行けただろう。しらんけど。そしてそのまま就活とかしていただろう。そうやって生きていたら確実に気が付かなかったと思う。

実際当たり前だが、中学で私がテストで一位だったということは、他の100人くらいは一位じゃない。私と同じ高校に進学したのも数名だった。そんなにたくさんの人がいて、学力より技能みたいな進路を望む人もたくさんいたはずなのに、私以外の人の進路を考えたことがなかった。学力以外の進路が見えていない私には、失礼かもしれないが、自分より学力の低い人は見えていなかったのだ。

今の私なら、もしかしたら自分も何かと出会ってラーメン屋をやる可能性だってあるだろうと普通に思うが、前の私なら、まあ出会いがあればあるかもねとは言いつつも、絶対ないだろと思っていたと思う。

 

あまりにもラーメン屋を話題に出しすぎかもしれないが、これは学力より専門系の知識が必要な仕事、言い方は悪いが誰でもできる仕事はだいたい当てはまると思う。高校生バイトは想像できるが、そこには社員さんも一緒に働いていたりする。別に疑問にも思わなかったが、ラーメン屋より先にそっちに気がついていたら同じように、え、なんで?となっていただろう。マックで正社員として働く20代みたいな。いいだろマックの正社員、という感じだが、本気でわかっていなかった。

あと年齢的にも思うのは、18歳歌手とか。私も保育園児のときはアイドルになりたいとか言っていたが、それはほぼプリキュアになりたいと変わらないものだったから、今は、すごいなという感想だがこれも前ならとても困惑しただろう。

 

 

 

ついで扱いだが、得たものはもう一つある。それは将来の夢ができたことだ。不登校になってから出会ったもので、初めて、これになりたい!と思えた。

 

今までテストでいい点取らなきゃ!で頑張っていたのに対して今は、これのために頑張んなきゃ!となるので明らかにモチベが違うし、将来の夢ってこんな気軽でいいんだ!ともなった。やっぱり私はいつのまにか、学歴の波に呑まれていたのかもしれない。

結構前から、私は理工学部に行ってから研究者になるんだろうなあって言う感じだった。なんとなく目指していた。理科が好きで特に物理と化学が好きで今も好きだが、それは教科として学ぶのが好きなだけで、前からずっと興味があったのは生物系なんじゃないかということにここ最近気がついた。それと、心理学・哲学系統。というか生物もこの類で、人間とは?みたいなほうに興味がある。ずっと昔から。趣味でしかなかったけど、大学に行って学ぶならこっちがいいなと最近思った。仕事にならなくても学びたいなと思えたのはとても嬉しい。自分という人間を取り戻せた気がする。

 

 

 

それと書いていて思い出した話をもう一つだけ書いて終わろうと思う。あなたは午前4時にベッドの上でyoutubeを見ながらポテチを食べたことはあるだろうか?

私はある。不登校になってすべてを投げ出した私が取った行動だ。私は真面目なので普通に生きていたら一生しないまま終わっていただろう。いやそんな自慢できることではないのはわかっているが。

なんだか自分の殻を破れた感じがして嬉しかったのだ。当時の自分は朝七時までスプラトゥーン3をやっていたが、そっちよりもずっと記憶に残っている。

 

 

 

最後に

最後に。読んでいただきありがとうございました。あなたは不登校本人?それとも保護者?それ以外?

不登校になってしまったあなたへ

つらいよな。つらかったよな。よくわかる。一個言いたいのは、学校に行かなくても案外なんとかなるし、お金さえあればまた学校には通えるし、お金なくても図書館に行けば本が読める。大丈夫。学校行けなくなったくらいで人生終わらないから大丈夫。周りが辛辣でも、私だけはあなたの味方です。

 

不登校児の周りの大人へ

今回は不登校で良かったことを紹介しましたが、もちろんわたしのように行けなくなった人の場合、本文にも書きましたがとんでもなくつらいので、これからのことなど考える前にまず、心に寄り添ってあげてください。ただのサボりなら話は違うかもしれませんが、ずっとゲームしてても許してあげてください。案外なんとかなりますよ。大丈夫です。

 

みんなへ

みんな生きるの頑張っててえらいです。私もえらい!みんなえらい!

これからも生きていきましょうね。